骨お・reason

■8/23 tue 

8月前半は家にこもり、オミクロンに感染した家族の看病と家事に従事していた私。結果、家族は治癒し、自分は発症せず、よかったな、てなもんであるが、疲れ果てた僕は激烈な腰痛に苦しむことになる。
でもこれ、本当によかったな、と思えることが一つだけあって、何かというと。
この直前に母をケアホームに入所させた私は後悔していた。実家で単身、母の介護にあたるという選択肢もあったのではないかと。しかし、しかしだ。
無理!絶対無理!と気づけた。
家族の看病すら1日で飽きたし、とても苦痛だった私。母の介護なんぞできるわけがない。できないのにやろうとした場合は地獄が待っている。やはりホーム入所が正解であり、この早いタイミングでそれに気づけたのは本当によかったなあと。もううじうじ悩まないですむ。

てなわけで、この日は、コロナで延び延びになっていた母のホームへの訪問。というか残りの手続き、というか金を払いに。

朝、家を出、2時間近く電車に乗り、埼玉の実家近くの駅。そこでレンタサイクルをゲットし、駅からめっちゃ遠いその施設へ。
コロナ 感染者増大につき、面会は禁止されていた。手続きをすんなり済ませ、せめて母はどんな塩梅かと問うと、施設の人が私を哀れに思ったのであろう、「こっちこっち」と内緒で私を裏庭に連れていった。とある窓をのぞいて「お母様です」。窓越しに母を見た。1か月ぶり。
もっと、ぼーっと恨めしそうな顔で居るのかなと思ったのだが、めっちゃニコニコしてた。ここの暮らしを気に入ってるようだ。なあんだ。よかったよかった。

この一月、胸にドロドロ溜まっていたものが一気に霧散した。いやあ、本当によかった〜ってんで迷わず近くのコンビニでビールをゲットし、実にいい気分でサイクリング。あと数か所に用事があり、どれも遠いのだが、自転車乗りながらコンビニでビールを補充しながら。

んで、夕刻、その用もすべて終わり、自転車を返却するべく、細い小道をのろのろと自転車を漕いでいた私。後ろから車が来たので、脇により、止まった。
と、バランスを崩し、ドガシャーンと自転車ごと倒れた。おー痛てて。てなもんだった。
んで、右手が痛いのは多少気になったが、そのまま自転車を返却し、電車に乗り、帰宅し、寝たのだった。

■8/24 wed

翌朝になって、あれ?まだ右手が痛いな、ってんで、念のため近所の整形外科に行くと、
「あなた骨がポッキリ折れてます」ってんで、ええええ?と驚く。
問答無用でギプスを装着され「ギプスが取れるまで3週間」と宣告され、もろもろ諸注意。絶対濡らすなとか。もしずれてくっついたら手術だとか。
病院を出ると土砂降りの雨。とぼとぼ帰宅。家でボーゼンとする。

ショックだ。まさか、あれくらいで骨が折れるなんて。自分の身体の衰えに、本当、ショックを受けた。

それからの日々は、全く何もやる気が起きず。まあ、そりゃそうだろう。骨が折れてるんだから。痛いし。
そんでもって、何をやるにも不自由で。かなりふさぎ込み、くさくさしていた。

でも、1個だけいいことがありました。腰の痛みがピタリと止んだんです。不思議ですね。腰が治ったはずはないんですけど。これ、他に圧倒的に痛い部分ができると、気にならなくなるんですね。よかったなあ。よくないわ!ちっとも。

■8/31 wed

1週間たったからみてやるってんで整形外科。電ノコでギーーーってんで忌々しいギプスを切断。1週間ぶりに日の目を見た右腕は血だらけで、医者がぎゃーっと叫ぶ。
「どうしたんだ?!」
「ああ、かゆいんでギプスの隙間から菜箸を突っ込んで掻きまくってました」
そう。私は暑がりで、皮膚も弱い。痛さというより、痒さのほうが苦痛だった。気が狂いそうだった。地獄の1週間だった。
と、見かねた医者が、
「じゃあモナカにしてあげる」
ってんで、モナカ?ってなに?と思ったら、モナカの皮よろしく、ギプスを上下に切ってパカッと装着できる形に作ってくれたのだ。ありがたい!涙が出るくらい。これでいくらでも手で掻ける。
…と思ったんですが、不思議なもんですね。
これを境に、ちっとも痒くなくなったんです。
これ、痒くても掻けない、ってえ心理的な痒さだったのかも。
閉所恐怖症みたいな。
そんでもって、あと2週間、ギプズ装着を義務付けられる。

■9/8 thu

本番を2日後に控え、佐藤幸雄とわたしたちのスタジオリハーサル。当然ギプズはまだ取れない。さてどうしましょう?右手なしで。ってんで、とりあえず、何ができて何ができないか、どの曲ができてどの曲ができないかを確認。右手が使えないと、こんなに感じなのか。使ったことのない筋肉を使うような感じ。めっちゃ汗かく。全く思った通りに叩けない部分もあり、意外に叩ける部分もある。面白いもんだなあと思う。おもしろくないか。

■9/10 sat
『ローカル・ホンクとわたしたち』@吉祥寺MANDA-LA2
佐藤幸雄POP鈴木玉川裕高とわたしたち w/東京ローカル・ホンク

お客さんには骨折のことは一切知らせていない状況下。
わざと三角巾で右手を吊ってステージに登場した私。
んで、演奏。
結果、
「利き手の右手を使っていないとは感じさせない見事な演奏」
「すばらしい」
「お前、右手がない方がいいんじゃないか」
とまで言わしめた。まあ、半分以上お世辞でしょうが。
で、私自身、ことのほか満足。調子に乗って朝まで打ち上がる。

それにしてもこの日の成功は、片手ドラマーの演奏を許し、助けてくれた、わたしたち:佐藤幸雄・玉川裕高、両名のおかげであり、対バンの東京ローカル・ホンクさんのおかげである。
とりわけドラムを貸してくれて、セッティングも手伝ってくださったクニオ・ホンクさんには感謝の言葉しかない。ホントありがとうございました!

そんでもって、まあ、片手で演奏するなんて、この日で終わりで、2週間後のライブは両手だ。と思ってたんだ。本当に。

ーー今日はここまで。続きはまた明日。