僕と佐藤幸雄(3)「再会編」
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■僕と佐藤幸雄(3)「再会編」
んで、2011年の9月。
ビール飲みながら鼻歌まじりでメールをチェックしていたら、
「鈴木君演奏前に酒は飲むなよ」というタイトルのメールを発見する。
佐藤幸雄氏からである。
青ざめて中身を開いて見ると、きたる9月24日に上京し、篠田昌已さんの墓参をしたのち、スカートのライブを観るから招待したまえ、出番は何時だ?とある。
えええええっっ?マジか?
PCの前で思わず小便を漏らしてしまう。
どうしていいかわからない。
とりあえずスカート澤部くんに「どうしよう怒られるよう」とメール。
のちマジかマジかマジカマジカと叫びながら家の中をぐるぐる歩き回る。
どうしたの?と妻。
佐藤さんが来るんだって。
あら、佐藤さん。懐かしい。と妻。のんきに言う。
いや、違うんだ、と。
今までは手紙とかメールだけだったけど、佐藤さんが20年ぶりに来る、ついに現れる、ってことは、また音楽活動を始めるってことなんだよ!そしたらまたあの怒られる日々が始まるってことなんだよ!
と言うと妻、驚いた顔で僕に言う。
「ええ?あなた、まさか、また佐藤さんとバンドやるつもり?」
え?
あ、そうか、
と。
そういう考え方もあるのか、
と。
つまり、佐藤さんは来る、けど僕は佐藤さんと一緒に音楽活動はしない、という考え方。
そういう発想は無かった。
・・・
後日スカートのスタジオリハ。
「佐藤さん来ますよね!」と澤部くん。「どうしましょう? やっぱ怒られるんですかね?」とビビっている。
そりゃあビビるだろう。僕が彼に話した佐藤さんの思い出の全ては、僕が怒られたエピソードばかりなのだから。多分に誤解を生じた佐藤幸雄像が彼の頭に出来上がってしまったに違いない。
んで僕。
「いや、オレはもうビビるのやめたよ。静岡から50過ぎのおっさんがやって来るだけの話だよ。20年というブランクを引っさげてね。それだけの話なんだ。ビビることないんだよ」
強がりのようにも聞こえるが、実は本心だ。
20年!
実際、20年なんだ!
このスカートの澤部君は23歳とかだし、ベースの清水くんやらピアノのユウスケくんなんか22とか21なんである。彼らが1歳とか3歳だった頃の話なんだ。時間としては。
それにこの僕。このとき45歳。なんと!45だよ!あれから20年。いろいろやった。大したことないにしてもだ。少なくともキャリアとしては佐藤さんより長くなったはずだ。なーにを。ナニをビビる必要があんねん。と。酒飲むなだ? オレの勝手じゃねえかボケえと。まあ、やっぱりちょっと怖いから飲まないつもりだけど。
それに佐藤さんだって、なんか、こう、恥ずかしそうに来るんだろ、と思っていた。来てもライブだけ観て、すっと帰っちゃうんじゃないかな、とか。だいたいが、本当に来るのか? とも疑っていた。なんだかんだ言って来ないんじゃないのかなと。半信半疑。
まあでも、9/24までの数日間を、なにか地に足がつかないような、ふわふわした気持ちで過ごしたのは正直なところだ。9/24はスカートのライブの日、と思っていなかった。佐藤幸雄に会う日、としか考えていなかった。
・・・
んで、その日。
池袋駅に降り立った僕であったが、まず、池袋orgという店がどこにあるのか全くわからなくなってしまった。HPの地図を1回見ただけで行けると判断してしまったからだが、池袋なんてよく知らない街であった。澤部君に電話して道を教えてもらう。
さんざん迷ったあげく、地下1階の居酒屋の更に地下の店に入り、僕はちょっと愕然とした。想像していたライブハウスと違っていた。失礼な話だが、部室?と思った。
狭い横長のスペース。その長い辺の壁に一列に、アップライトのピアノ、ベースアンプ、小さいドラム、ギターアンプが並んでいるといった風情。ステージと客席の間はフラットで、仕切りも段差もなーんにもない。てかどこまでがステージでどこまでが客席なのか全くわからない。
ドラムにはマイクなど立てない。アコースティック用の場所かしら? とも思ったが、それなりに音量は出してもいいのだった。
音を出しサウンドチェックをするのだが、ドラムにモニタースピーカーなんてものも当然なく、ピアノの音が全然聞こえない。いや、店はいい。そういうスタンスなんだから。やるんだったら僕らスカートが音を控えめにしなければならないのだ。てか僕が。んでもそういうアレンジでの練習は一切していない。
悩んでいると、
「ポップさん、菜箸で叩きます?」と澤部くんが急に言ってくる。
…いやあ。
ってんで僕は黙考。僕だけが音を小さくしても意味が無い。し、そもそもスカートは菜箸では叩けない。だってそういうアレンジだから…。今からアレンジし直すなんてのは不可能。方針が出ないまま時間になり、リハ終了。
いや、悪いのは僕だ。どういうハコなのかを事前にちゃんと聞いておくべきだった。
今日に限ってすっげーでかい音が鳴るスネアを持ってきちゃったし…。
スカートの若い衆はジュンク堂にマンガを見に行くと言って仲良く出てしまった。
僕はよく知らない池袋の街をさまよう。また別の日だったらすぐに気分を立て直すところであるが、佐藤幸雄氏に自分の20年の成長を見せつけようと張り切っている日に、これはないだろう、という失望感と、それでもどうにかベストな感じを出すにはどうしたらいいのだろうという思案。っていう時に必要なものは何だ?
迷わずコンビニでビールを購入。まあまだ時間があるので、本番までには酔いも醒め、佐藤さんにも気付かれまい。
んで、意外に池袋って寺が多いんだなあ、などと思いながらビール飲み飲み徘徊した初秋の夕刻、出ました。あたしのこの日の方針。
とにかくテンション上げてガーッとやる。です。
てか、いつもと同じなんですけど。はは。
だいたいこの日の主催者が僕のそういうスタイルを好きということを小耳に挟んでいたので、だったらそれでやるべきだと。少々の聞き辛さなどは関係ない。テンションだと。またぎゃーとか叫ぼうと。
僕は、さかなをやってたとき以外、もう何年もずーっと、ぎゃーっと叫ぶスタイルでやっていた。今更なにか取り繕ったって意味がない。そもそもそんな来るか来ないかわからない佐藤さんのためだけにやるんじゃないんだし。いつも通りでいいんだ。と。
どうです、この僕の窮地を脱する発想の転換。すごいでしょう。ははは。ま、人はそれを単なる開き直りと呼びますがね。実際その通りですけどね。
で、もうぼちぼちorgも開場した頃なので、うどんを食って、店に戻る。
が、店に降りる階段の前で、はたと立ち止まる。
もし、もう佐藤さんが来ていたらどうしよう?という思いがふとよぎったからで、演奏前には佐藤さんとは会いたくなく、できれば演奏終了後に少々言葉を交わす、くらいが理想なので、もうちょっと入店を遅らすか。たばこ1本分くらい。と思い、つっても店の前の歩道は路上禁煙だ、ってんで、面した大通りを横断して向かいの歩道。コンビニ前のガードレールに車道を向いて腰掛け、一服。行き交う車とorg前の歩道を歩く人を、車道越しにぼーっと眺める。
と、右からある人物が歩いて来る。
orgの看板をチラと確かめると、その階段を降りて行った。
…見間違う事はない。20年ぶりに見る佐藤幸雄氏であった。
僕はその右から歩いてきてチラと看板を見て階段を降りる、という残像を5回くらい脳内でプレイバックしたのち、ああ、たいへんだ、と思った。
急いで傍らのコンビニに入ってビールを購入し、プシュッと空け、んごんごと飲み、また町内を1周徘徊。そうこうするうちに、もうホントに出番の時間が迫り、尿意もハンパなくなり、もういいや、ってんで恐る恐る入店する。
入り口をはいってすぐは客席の右横である。そこからとりあえずパンパンに人が居る薄暗い店内をこわごわ見渡す。あれ?いないな、と思った瞬間、50cmも離れていない目の前の人物の後ろ頭が佐藤さんだと気付き、はへえ~、と声にならない驚嘆の声を吐いた後、摺り足バックで出口まで戻り、階段を地上まで駆け上り、はあはあと荒い呼吸で路上にへたり込む。
立て直し。
とにかく脇目もふらずに演奏者とお客のわずかなスペースを通り、入り口と反対端のトイレまで行き、のち楽屋代わりのその奥のスペースで縮こまっていよう。ってんで再チャレンジ。
入り口をくぐり、息を殺して前バンドの曲の間合いをはかり、今だ!ってんですっと佐藤氏の脇をすり抜けた瞬間、がっと腕を捕まえられる。
「鈴木君!」
ええええ???
恐る恐る振り向き、ああ、どうも、かなんか言ったんだな僕は。
それですぐ、あの…、あっち行きますんで…、かなんか言って演奏者の真ん前をゆらーっと歩いて向こう側まで行ってトイレにこもる。
あわわわわわわ。
んでトイレを出て、奥の奥~の澤部君の彼女が座ってる後ろかなんかに隠れるようにしゃがみ込んでがたがた震えていた。
んで出番。
とにかく佐藤さんの方は見ないようにして下だけを見てセッティング。
そこへ、
「POPさん、あの…」
っつーおっさんの声が頭上でしたので、ひいっと顔を上げると、DISK UNIONカネノ氏。
なななな、なぜステージ上にカネノ氏が?と思うが、もとよりステージも客席もないスペースである。
「佐藤さんどこにいます?」と問われる。
はあ?
カネノ氏。このおっさんがすきすきスウィッチの再発をしたのだ。
このおっさんに去年、佐藤さんの連絡先を教えて、と言われたのだ。
そんでもって今回の佐藤さんを引っぱり出す、という一連の運動の首謀者はこの人なのだ。
そのカネノ氏は、佐藤さんの顔がわからなかったのだ。
あそう、そうかあ、あはは。
「あそこらへんにいますよ」と僕は手だけでステージから客席向かって左側の入り口付近を指差す。
え? どこ? わからないなあ、とか眠たい事を言うから仕方がない。思い切って僕はそっちを自分でも見やると、佐藤さんは左っかわのすぐ真ん前にいた。
「あ、あ、あの人です…」
この日ほど演奏早く始まれ!と思った日はない。
んで始まった。僕は割と早々にぎゃーっと叫び、がしがしいった。
んでもピアノが聞こえなくなるのが嫌なので、少し抑えたり。でも、がーっと。
集中集中、と思ってやっていた。まあでも、その時点で集中していないんじゃないかと思うのだが。
じゃん、つって曲が終わると超満員のお客さんも、うひょーなんつって凄く盛り上がってくれていた。ありがたい。
んで何曲かやったあとかな。ふいに、
「サワベ!チューニングしろ!」という野太い声が客席から上がる。
どっと客席がウケる。
カネノさんだ。
へえ、カネノさんって案外そういう気の利いたヤジも言えるんだな。と思った。
んでまた曲が終わる。
「ピアノのチューニングが合ってない!」と叫ぶおっさんの声が。あ〜も〜二度も言ったらウケないのに。
澤部くんは、えええ?…でも、ピアノの調律は無理っすねえ、ここのピアノって調律してますか~?なんつって。客席もまだクスクスしてたな。
やっぱ、気が利かないんだな、カネノって親父は。と思ってたんだ。その時まだ僕はホントに。
んで、次の曲が終わった後、
「サワベ! ギターをピアノに合わせてチューニングしろ!」と叫ぶおっさんの声。
あれ、もしや? と客席左を見やると、果たして、その声の主は、佐藤幸雄氏であったのだ。
「ピアノのチューニングができないのはわかってるんだよ! だったらキミがギターをピアノに合わせてチューニングしろ!」
客席は水を打ったようにシーンとした。
えええええ?
マジか?
マジでか??
あわわわわ。
だって…。そんな人いる? って思った。
どんな人って、
演奏中に何回もチューニングが違う、って叫ぶ人。
っていうか、20年ぶりにライブハウスに来て、そんなこと叫ぶ人…。
あわわわわ。と思いながらあとは残り数曲を夢中で演奏したのだろうが、よく覚えていない。
で、演奏終了。
気付けば汗ビッチョびちょ。
実はこの日はフェーン現象で酷暑。加えて前日の台風で店の空調がぶっ壊れていて、客でぎっしりの店内はサウナのような暑さだったのだ。が、演奏中は暑いことに気付かなかった。
終演し、暑さから解放されるべく客が出口へと向かうのだが、僕はとにかくそっちは向かず、佐藤さんと目が合うのを避けるように、うずくまってドラムの片付けをのろのろとする。
ふと、また、
「POPさん」と頭上で声がするので、ひいっと顔を上げると、またカネノさん。
「佐藤さんこの後すぐ新幹線で帰らなきゃ行けないってんで、一緒に出ますね」
え? あそうですか!
助かった!
ってんで、片付け、店の奥に機材を押し込み、とにかく着替えなきゃな、とか思案していると、映像の岩渕君ってのが。
「POPさん、来てください。上で佐藤さん待ってるんで」と呼びに来る。
えええ?マジか…。
んでもそりゃそうだなと。怒られようと。
んで澤部君とかと路上に出るのだが、路上にはいず。
どこかの喫茶店に入ったらしい、という情報が入ったが、どこだかわからない、ってんで岩渕君が携帯で必死にカネノ氏と連絡をとっている間、僕は、
「見つかるなあ!このまま!」と路上で叫んでいた。
で、はす向かいのベローチェにいる、ってんで一同で向かうのだが、
僕は悪い事をして呼び出され、校長室に向かう小学生の心境であった。
んでベローチェ。
佐藤さん。
「すずきー」つって僕に抱きついてきたんである。
僕はまだびちょびちょだった。
んで、忘れてたのだが、澤部君によると、僕はその時抱きつかれながら、
「許されたー!許されたー!」
と叫んでいたのだそうで、確かに、そう叫んだことを後日思い出した。
ベローチェには10分いたのかいなかったのか、よく覚えていない。
佐藤さんはピアノのユウスケ君に、
「僕の友人の近藤たっちゃんという人はあらゆるライブハウスにハンマーを持って行き自分でピアノの調律をしていた。キミもその気になればできるはずだ」
とか、
「ああいうハコでも、ちゃんと聞きたいと思っている人がいるかもしれないのだから、ちゃんと聞かせる姿勢で臨まなければダメなのだ」
とか、澤部君に、
「スカートという名前はどういう意味でつけたのか?」
とか、
「その答えは面白くない」
とか言っていた。
佐藤さん、僕には何も言わず、僕も何も言わず。
んでもそれもなあ、と思って何かしゃべろうと努力するのだが、だめで。
「なんか、時間が空き過ぎて、何を話していいのかわかりません」
と言った。
あと、
「それで今後、どういう展開になするんす?」
と聞いた。
佐藤氏は、
「後日こっそりキミにだけ教えるよ」
と言って、もう時間になり、佐藤氏は静岡に帰って行ったのだった。
・・・
その2、3日後である。
ああ!と僕は突然思い出した。
何をかというと、20年前のことで、
絶望の友が終わったときのことなんだけど。
僕は、
佐藤さんはまた必ず戻ってくる、
だって、あんな人が音楽から完全に離れるはずがない、というか離れられるはずがない、
だから、そのきたるべき時に備えて、バンドを続けていようと、
経験を積んでおこうと、
思ったのだった!
それでいろいろなバンドをやっていたのであった。
忘れてた!
コロッと忘れてた!
だって20年も前のことだもの…。
でも、佐藤さんとまた音楽をやることになると、20年前から想定していたのだった!
忘れてたなー。
しかし完全に思い出した!!!!
地球調査の為に派遣されたエイリアンが人間に化けて生活しているんだけど、何百年も、あまりに長いこと生活していたので、その目的を忘れてしまい、自分が地球人と思い込んでしまう。んで、思い出すって話があるのですが、それに似ている…。
はは。
ははは。
ははははは。
・・・
後日、
佐藤幸雄氏からメールが来た。
「君は20年たった気がしないと言いましたが、それは、」
「19年しかたってないからです」
ははは。と笑った。【僕と佐藤幸雄「再会編」・完】
・・・
【これからのあらすじ】
迫り来る2011年10月。高円寺円盤で田口氏・山田氏と共に佐藤幸雄と改めて会い今後の計画を聞かされたわたくし。円盤での公開練習を経て鈴木惣一朗氏が登場し平成のすきすきスウィッチが始動しなぜかそれにキーボード担当として加入させられCDを出し活動を辞め2人になり名古屋に行き藤木ひろしが加入し脱退し柴草玲が入り録音しツアーに行きまた録音し柴草玲が脱退しCDが出て佐藤幸雄という男・展が開催され…と話はこれからますます面白くなるところではありますが、お時間が来たようでございます。続きはまたいずれ。ご静聴ありがとうございました。
・・・
【あとがき】
去る2019年2/23(土)から3/7(木)にかけて、『佐藤幸雄という男・展』が西荻窪『ニヒル牛』で開催されました。
これの開催にあたり、POP鈴木は佐藤幸雄さんから、
期間中の同店での2回のライブ演奏と、
「何かを制作して(書いたものでもよいから)出品するように」との要請を受けました。
で、作成したのが2冊の小冊子、「僕と佐藤幸雄」の『絶望の友編』と『それから・再会編』でした。
ここまでの文章は、それらをweb用に加筆訂正し再編集したものです。
そして、その前述の冊子の大もと・原典になった文章は、
2000年や2011年に、当時僕がやっていたブログ用に書かれたものでした。
はっきり言って、それらがなければ書けなかった。
書いておいてホントよかった。助かった。
2000年の自分を自分で褒めてあげたいのであります…
…と、ここまで書いた僕は、あれ、もしかして?と思うのだ。
2000年の僕は、
2019年に佐藤幸雄さんの発した「『展』をやるから何か書きたまえ」って声を聞いたのではないか。
だから2000年の僕は書いたのではないか…。
つまり、佐藤さんが2019年にパンって手を叩いて、それ、2000年の僕に聞こえてたのでは?
過去に聞こえちゃってたのでは?
って答えは、どうでしょうか? 佐藤さん?
・・・
僕と佐藤幸雄「それから・再会編」
POP鈴木
2019年3月2日 初版
2019年3月6日 再版・時価
2020年5月4日・僕と佐藤幸雄『再会編』」としてweb用に大幅加筆修正・分割・再編集し公開